スポンサーサイト

  • 2014.08.13 Wednesday
  • -

一定期間更新がないため広告を表示しています


2010年7月31日

主に木祖村内

この日の長野県中部および南部の天気予報は曇りでだったが
他の地域は晴れ(時々曇り)の予報だったので
予報をあまり当てにはせずに、とにかく出かけることにした。

午前5時前に家を出る。
中央線を使うのに、いつもは御茶ノ水駅に行くところを
今回は上野駅に行くが、山手線の電車が出てしまい
神田駅で予定の1本後の高尾行きに乗り換える羽目になる。

その後、車内アナウンスにしたがって、高尾の手前の八王子で甲府行に乗り換えるが
立川始発の列車はほぼ満席で、しばらく車内で輪行袋を支えたまま立っていた。
甲府で松本行きに乗り換えるが、こちらも混雑していた。

山梨県内は日が射していたが、諏訪に近づくにつれて雲が多くなってきた。

塩尻で18きっぷに印を押してもらい、中津川行きに乗り換える。
どこで下車するか迷ったが、贄川駅で降りることにした。

他に贄川で降りたのは、中山道を旅すると思しき男性1人だけであった。
彼は持ってきた地図に目を通すとさっと行ってしまった。

駅のトイレを使おうとするが、車で来た先客が女子トイレの方を見遣っている。
どうも蛇が女子トイレの方に這って行ったようであった。
「シマヘビですか」と訊くが「いや、××ではないか」と言われる。
××は聞きなれない言葉で、多分方言だろう。

多めだった雲は次第に少なくなって、下車してすぐにほとんど消えてしまった。
撮影の予定を切り替えて、撮影する物の下見および現地調査をする。

贄川宿を通り抜けて、枡形から国道に上る。
桜沢の石仏群は草が生い茂っていたが、地元の人が近くで草を刈っていたので
後で来れば草は無くなっているかも知れないと思った(が、戻ることはなかった)。

諏訪坂の旧道に入ってすぐ、右手の高い場所に祠があるのに気がつく。
長い間、見付けることが出来ずにいた庚申塔が祀られていた。
 

塩尻市贄川桃岡
 大山神社(下見)

平沢地内を持っていた地図と照らし合わせながら移動。
川沿いに平沢から奈良井に移動中
向いに橋戸一里塚の説明板および小公園が出来ていることに気付く。

観光客でごった返していそうな奈良井宿内の通行を避け、鉄道沿いの道を行く。
橋を渡り、国道を通って木祖村側に抜けることにする。

 天照沢近くの題目塔

鳥居峠のトンネルを抜けると曇っていたので
前回の続きを撮影することにする。

木祖村薮原
 薮原神社
 極楽寺
 乱塔墓地
 八幡宮

一旦薮原駅に出て、電車の時刻を確認する。
薮原駅から高台に何かあるのが見えたので上ってみる。
子育て地蔵堂だった。

 石仏群

薮原から南の旧道を数箇所撮影。

一里塚跡の碑がある場所は分間延絵図から比定される位置から
大分離れているのではないかと思っていたがそうでもなかった。

木曽川の対岸に渡り、中山の大日様に行くことにする。
林道ががけ崩れで通行できなくなっているようだったが、
行ける所まで行ってみることにする。
幸い路面が崩落している箇所の手前に石仏群はあった。

残りの時間で木祖村内の再撮影をするが、この時間になって日が射してきた。

 大日妙典供養塔

日が翳るのを30分近く待つ。

 菅橋

ここに来るのは10年ぶりになる。
舗装が残っているので全く通行できないわけではないが、
旧国道に草が生い茂っていた。。
坂を上った信号のある交差点から菅方面の道に入り、菅橋の袂に行く。

向吉田および吉田
 神明神社
 

 林業会館裏 庚申塔
 

 国道沿いの石仏群
 地蔵堂
 神社碑
を撮影。
薮原駅より戻る。
(2010/8/1)

2010年8月8日

塩尻市奈良井・木祖村薮原・木曾町宮ノ越

この日の天気予報は、長野県中部は昼頃まで晴れでその後曇り、
長野県南部および東濃は昼頃曇りで午後遅く雨ということであった。
が、この日は木曽路の北部も昼から曇るのでは
との予感があり早目に出かけることにする。

中央線を乗り継いで、曇りになったところで下車することにした。
山梨県内を通過しているうちから雲が多く、
晴れの予報を当てにしていた、ハイカーにとっては生憎の空模様であったが
こちらとしては、撮影するには絶好の天気であった。
中央西線の乗り換えに50分待つのも勿体無いと思ったので塩尻で下車。
自転車を組み立てて移動。

塩尻市日出塩
 道祖神文字塔
 熊野神社
撮影中に、乗るか迷っていた電車が通過する。

塩尻市贄川
 片平橋
 鶯着寺の近くの御岳信仰碑

贄川に着く頃には日が差してきた。
桜宮の石仏群は下草が刈られていると思ったが期待はずれ。

平沢に着いた後、すぐにまた曇ってきた。
(以下、地名は一部「楢川村の石造文化財」による)
塩尻市平沢
 神社
 上町村道交差点石仏群
 交差点近くの旧道
 橋戸一里塚跡
 大山神社

奈良井の寺社の撮りなおしをする。

塩尻市奈良井
 馬頭観音文字塔
 専念寺
山側の裏道を移動。
 法然寺
 下町横水 石仏群
水場で水を頂く。 
 裏手の地蔵堂 稲荷
 大宝寺(庭園には寄らず)
 神明社
 小太郎稲荷
 本陣跡の燈籠
 長泉寺
寺社を見に来る観光客は少なかったが、
ここは御茶壷道中が宿泊した寺ということで
見学に訪れた人たちと遭遇。
鐘楼を撮影している人もいた。

 浄龍寺
 若宮神社
 

線路を渡る。
 上町デンデ場の石仏群

国道を移動、木祖村へ出る。

木祖村薮原
 白髭神社文字塔
 鷲ヶ峰の経塚 庚申塔


 八幡宮境内の燈籠
 乱塔の墓地 名号塔
 極楽寺 裏手の石仏群
 薮原神社境内の燈籠
を撮影。
これらは、木祖村が出した石造物調査報告書を見て
撮影しておくことにしたものであった。

飛騨街道方面に移動。
塩沢橋の近くに庚申塔があるというので行ってみるが見付けられず。

宮ノ越方面に移動する。
 悪沢近くの石仏群(前回の撮りなおし)
 菅橋近くにあった道標
 吉田神明宮境内の燈籠
吉田林業会館裏の石仏群も撮りなおそうとするが
長野県知事選挙の投票場となっていたので遠慮する。

 下吉田 一里塚近くの馬頭観世音文字塔

木曽町(旧日義村)に入る。
 旧国道

 
 

 巴淵石碑
小雨が降り始める。
帰る時間も迫っていたが、旗挙八幡宮に立ち寄る。
電車に乗る時間までわずかだが時間があったので、
下町の石仏群および
宮ノ越の町並みを何箇所か撮影する。
 庚申塔


(2010/8/27)

2010年8月14日

木曾町福島

この日の天気予報は曇りのち雨だったと思う。
いつものように中央線の電車に乗り塩尻まで。
塩尻駅10:50発の中津川行きに乗るが
お盆のためか、いつもより乗客が多い。
薮原か宮ノ越で下車するつもりでいたが、
混雑する車内を輪行袋を持って運転席の近くまで行くのもはばかられ
木曽福島で下車することにする。

最初は、木曽川対岸の御影堂にある薬師堂に行ってみるつもりだった。
薬師堂は以前、御影堂を訪れたときに探したことがあったが
見つけることができなかった。
その後、木曽福島町の都市計画図を入手して、
ここではないかという心当たりを得て、行ってみることにしたのだった。

が、その前に、御墓島にある木曾義元墓を撮りなおすことに。
木曽福島の駅から坂を下り、旧国道を進む。
木曾義元墓の入り口にたどり着くが
「中組区ふれあいロード」の案内図(略図)があるのに気づく
御墓島の撮影後、さらに気が変わって、
案内図に載っているポイントを回ることにした。
持ってきた地図に各ポイントの大体の位置を記入する。

旧国道から沼田野に上り、沼田野沢付近の旧道を撮りなおす。
中平の道祖神を撮りなおした後、
国道バイパスに出て、塩尻方面に引き返す。

 村井家住宅(木曽氏旧臣・岩郷村庄屋)地図
越畑公民館前
 供養塔
万郡
 津島神社祠
ここには、石を組んだ室の中に収められた石仏が数体あった。
このような景色は中山道界隈だと御嵩町付近まで見ることができるのだが
北限は、この付近になるのでは、と思う。
が、次の週に日義原野で石室内に収められた馬頭観音を見つけた。

案内図には無かったが、都市計画図には
万郡沢の対岸に祠の記号があったので、
パチンコ屋の駐車場脇からアプローチしてみる。
銘はよく確認できなかったが、石造物があった。
バイパスをくぐる。
 三狐神社
三狐は社宮司に通じるようである。

 御嶽大神
 境橋付近
中山道分間延絵図によれば、境沢(万郡沢)が刻んでいる谷を迂回するために
木曽福島駅を横断して、駅の裏側に出ていた様である。
この辺りの道は消滅したと思われるが、福島宿と岩郷村の境沢板橋が
あったと思われる場所の近くに現在も橋がかかっているので撮影する。

 塩淵一里塚近くの石仏群
以前撮影したときと打って変わって、草に埋もれていた。
 越畑沢近く観音様

この時点で雨が降り始める。
いよいよ木曽川を渡って御影堂に着いたときには土砂降りになっていた。
薬師堂は見つけることができたものの、雨は止まず。
撮影はあきらめることにする。

長福寺の地蔵を撮りなおす。
隣に木造の青面金剛が祀られているのに気付く。
長福寺にはもともと三猿が祀ってあったのだが
昭和2年の火事で1猿を残して燃えてしまったのを復元、
さらに昭和55年に青面金剛を奉納した様であった。

郷土資料館にも足を伸ばす。
敷地内に移されている石仏群を確認する。

時間にはまだ余裕があったが、木曽福島駅から帰りの電車に乗る。
(2010/09/26)

2010年8月22日

木曽郡木曽町原野〜福島

この日の予報は昼間は晴れで、午後遅く曇りだったか。
撮影には適さない天気であったが、
木曽はもしかしたら曇っているかもしれないとの思いもあり出かけることにした。

いつもより一便遅い電車に乗る。
原野駅に2時近くに着くが、晴れている。
とりあえず、下見と割り切って下車。
原野で降りたのは他に1人しかいなかった。

松沢の近くの墓地に青面金剛塔があるというので探すが
それらしいものは見付けられず。

木曽福島方面に移動。
無笹沢南側の墓地内の石仏群がちょうど日陰になっていたので撮影するが
この日撮った他の写真と同様、光が入り込んでしまった様だ。

中山道東西中間之地まで来たとき、ちょうど曇ってきたので道筋を撮影する。
小沢立場跡
 道祖神
 駒石石作先生墓
 

さらに、石室に入った馬頭観音の写真を撮ろうとするが、
晴れてきたので全景を記録するにとどめる。


中山道分間延絵図を見る限りでは、
中山道は小沢立場茶屋跡の和泉屋の前を通り、
正沢川を上流にさかのぼる形で渡河しているが(旧国道とほぼ同じ位置)、
岡村知彦「中山道ウォッチング」では、
和泉屋の裏道から段丘下の小橋を渡るという指示がある。
今回はこの部分の道を辿ってみた。


栗本では手習天神のお祭りをやっていた。

木曽川対岸にある荒神社に立ち寄る。
神社の手前に架かっていた橋の袂に地蔵菩薩の文字塔があったはずだが、
新しい橋が出来て文字塔は行方不明になった。
そこで旧橋がある場所まで降りてみると文字塔は同じ場所にあった。


国道がJRを陸橋で越える手前で南に曲がり、住宅内の道に進む。
この道と中山道が重なると思われる箇所を見るためだった。
細い道に入りさらに進むと、幸いJRの下をくぐって国道に出ることが出来た。

出尻一里塚跡付近から中部北陸自然歩道に出、再び国道に合流する。
コンビニの前で国道を渡り、自動車工場の裏に回る。


 山伏塚(芭蕉句碑)
 経塚 大日如来像
雲が掛かるのを待って撮影するが、大分時間を食ってしまった。

5時近くになって、木曽川の対岸が日陰になっているのに気付き
木曽川を渡る。
 丸山神社
 黒川渡し
 地蔵菩薩
 山村代官屋敷東門跡の句碑
等を撮影。
木曽福島駅より東京に戻る。


2010年9月12日

安中・高崎

新町の図書館に置いてあった
鈴木繁「庚申研究」
に紹介されている庚申塔のうち、中山道の近くにあるものを探すことにした。

上野駅から高崎線に乗車。
高崎方面の切符を買ったつもりだったが、
宇都宮行きの切符を持っていることに気付く。
高崎駅で一旦下車。
駅員に事情を話すと運賃が一緒なので問題ないと言われる。
横川までの切符を買うが480円。
安中から乗り越した場合の金額に比べ160円高かった。

横川に1時45分に着く。
日が差しているが、雲は多く、時折日が翳る。

まず、坂本八幡宮裏手の墓地を目指す。
ここに青面金剛が彫られた墓碑があるとのことだった。

現地に着くと、秋祭りの最中で本殿に地元の人が詰めていた。
神事は午前中に終わったとのこと。
赤飯のおにぎりを頂く。
青面金剛の話をすると、心当たりはないが、
裏に墓地があるのは確かだから見に行けばよいといわれる。

墓地に行ってみる。
石祠(墓碑)や宝筐印塔はあるが青面金剛は見付けることが出来なかった。
40年以上前の本だから、その間に移設されたの知れないし
また、坂本八幡宮というのも別の神社の間違いかも知れないと思う。

高崎方面に戻る。

途中、思いついて五料高墓にある高白の墓を探すことにするが
これも空振りに終わる。

今後、中山道から離れた場所も回るかもしれないからと
途中のコンビニで県別マップルを購入。

安中市岩井
 宝昌寺
ここに庚申石幢があるとのこと。
R18バイパスの岩井交差点から信越線を陸橋で越えて南下。
問題の石幢は本堂左手の石造物群の中にあった。
 
寺の入り口にも石造物があるが、時間の関係で撮影しなかった。

ついで、安中市野殿に向かう。
県道から野殿の集落に上る。
墓地の入り口にある庚申石幢を撮影。
隣に文字庚申塔があった。

次いで、白山姫神社に向かうが直接行く道を見付けられず
一旦バス通りに出る。
青面金剛と三猿塔を撮影。

他にも文字庚申塔があった。

ここから下って先ほどの陸橋の南に出るが、
陸橋は越えずに碓氷川の南側を高崎方面に移動。
少林寺の入り口付近で碓氷川を渡る。

高崎市九蔵町
 庚申塔 道祖神(文字塔)
先週、高崎市内に来た際、大雲寺の裏手に新しい石祠を見付けた。
ここは昔木造の祠を撮影した場所に間違いなかった。
暗くなりかけだったので、もう一度撮影に訪れるかもしれない。
高崎駅より戻る。

2010年9月15日

蕨市内

国会図書館で斉藤正義著「わらびの庚申塔」という本を読む。
この本の中に、「蕨の石造物」には載っていない住所に庚申塔があるのに気づき
行ってみることにする。

自宅から自走。
赤羽に来た時点で諏訪神社に寄って、庚申塔を見に行くことにする。

諏訪神社の場所がわからず移動中
赤羽北1-6 稲荷社の境内の庚申塔を含む石仏群を撮影。

コンビニで地図を立ち読みして諏訪神社の位置を確認する。
赤羽北3-1-2 諏訪神社
 庚申塔
石仏群のある場所は、盛土がされていて、下部が埋まっていた。

さらに、戸田橋方面に移動中
浮間子育て地蔵の前にあった庚申塔を撮影。

蕨市内に着く。
メモした住所に行って、庚申塔を探すが見つからず。

一本杉塚

錦町薬師堂 参道入り口が変わる。

笹目 慈眼寺

板橋郷土資料館裏手の庚申塔

2010年9月20日


春日 北野神社 庚申塔

ぶらぶらと埼玉方面に移動。
浦和図書館で資料を見る。
北本市内の庚申塔の所在地を探す。
本宿地内に撮影したことのない庚申塔があるのに気づき行ってみることにする。
中山道を移動。途中、南方神社の力石を撮影。
三軒茶屋通りを東に入り、中山道と並行して通る道を移動。
庚申塔ではなく
馬頭観音であった。(寒念仏供養塔)
暗くなるまで時間が少しあったので、
R17の東側にある庚申塔を探すが
猿田彦大神の碑を見付けただけであった。
実家に戻る。

(2010/10/1)

2010年9月24日

 新川三嶋神社境内の石造物群

2010年12月23日

 主に中津川市内

中山道も西の方の撮影がメインになり始めた時点で気になっていたことだが
日帰りで西方に行く場合、どうしても現地に着くのが昼過ぎになってしまうので、
撮影できる時間が短くなってしまうという問題があった。

以前は、大垣夜行(ムーンライトながら)を利用していたのが、
ムーンライトながらが指定席制の臨時列車になってしまったため
利用を断念することになった。

そこで、変わりとなる物は無いものかと思っていたのだが、
何度か利用した事のある下諏訪のネットカフェで一泊すれば
木曽〜東濃ならば朝6時過ぎの電車に乗って
ちょうどよい時間に現地に到着できることがわかったので
試験的に利用することにした。
(もちろんムーンライト信州に乗れれば、それもよいのだが)

前の晩は調布での仕事が終わった後、ラッシュを避けるべく府中まで移動。
京王線で高尾まで輪行。
高尾で中央線に乗り換えるつもりだったが、18きっぷを家に忘れたことに気付く。
迷った末、家にある18きっぷは未使用だったのと
高尾〜下諏訪間は18きっぷ一日分の料金とさほど違わないので、
下諏訪までは実費で移動して、下諏訪で18きっぷを購入することにした。

中央線の電車に乗るが、車内の中吊り広告が少なくなっていることに驚く。

下諏訪で下車、ネットカフェに一泊した後、翌朝、5時半過ぎに外出する。
この日の天気は晴れということだったが、
今日はとにかく試験的にやってみようと割り切る。

下諏訪を6時20分過ぎの電車(始発ではない)に乗り、
塩尻駅で中津川行きに乗り換える。
最初は、雪が降る前に薮原〜宮ノ越間の道跡を撮影することも考えていた。
空は晴れているが、朝早い時間は山吹山回廊の辺りは
日陰になっていることを確認したが下車しなかった。
(数日後に雪が積もった様なので、下車した方がよかったのかも知れない)

倉本駅に近づいたところで、電車は突然霧の中に突入した。
以降、ずっと霧の中を電車は走り続ける。
中津川に近づくと、視界は大分開けてきて、
じきに霧も晴れそうな予感はあったが
その前のわずかな時間でもと、中津川で下車。
去年の9月に訪れて以来の、旭岡公園に向かう。

天神社の入口に自転車を止める。
 参道沿いの燈籠(天保、元文年間)
 はだか武兵碑
 天神碑
 天満宮
 宝暦の御神灯
去年の9月に撮影できなかった石仏群をひととおり撮影するが、
途中で霧が晴れてしまう。

公園内を散策。他に何があったか一通り調べる。
 三井寺観音(如意輪観音)
 経王書写塔
は日が差していなかったため撮影した。

公園内には、歌碑や句碑が多く、すみれ塚以外にも芭蕉句碑(月塚)があった。

電車に乗ってしまうのも勿体無く思えたので、
中津川市内を一回りすることにした。
宿場町を抜け、中津川を渡り、女男岩方面に行ってみる。

さらに、木曽川方面に向かう。
北恵那鉄道の鉄橋が残っているのを見つけ
さらに、北恵那鉄道跡を辿ることにした。
旧国道に出て、木曽川にかかる橋を渡る。
ここから見える鉄橋は実に18年ぶりであった。

苗木まで移動。
駅跡を探すが、住宅やスーパーが出来ていて探すのに苦労する。
結局、ホームの跡は住宅地になっていて
路面より不自然に高くなっているのでそれと判る程度であった。

昼過ぎになって雲がかかり始めた。
急いで中山道方面に戻る。

国道バイパスを通って中津川市駒場に出、
そこからインターチェンジの先で中山道に出る。
 大藪橋近くの石仏群
 燈籠(弘化年間銘)

一旦、日が差すが中山道の辺りは雲がかかって日陰になっている。

 じゅんてい様・弘法堂
 神明神社
300mほど東にある神明神社跡を見ようと思ったが時間の関係で断念。

 将監塚
 三ツ屋一里塚
 坂本立場跡
 馬の水飲み場
 稲荷神社
 名号塔群
この付近は新道が出来て様子が変わった。

完全に雲がなくなってしまった。
後は下見のつもりで恵那駅まで移動することにした。

坂本の観音堂内には馬頭観音を含む石仏が3体あるが、
ガラス戸が2重にしまっているため、外から撮ると写りこみが
ひどくて中の石仏は写らないと思われた。

 妙見菩薩(地蔵)
この近くの道しるべに
今まで行ったことのない場所が記されていたので行ってみた。

 妙見宮
ここから中津川方面に引き返した墓地内にあった。

 愛宕神社
恵那市境の手前左側の道を入り、数百メートル行った場所にあった。

恵那市内に入る。
日陰にあるものをいくつか撮影した。
 馬頭観音(大正年間のもの)
 木の下にある石祠(氏神)
 観音堂
 庚申塔
 馬塚
 根津神社宝京印塔
 関戸一里塚跡標柱
恵那駅から名古屋方面の電車に乗る。
(2011/1/17,1/18)

2011年1月9日

 岐阜市内
18きっぷの消化のため1泊2日で京都方面に行くことにしたが
天気予報では午後3時頃は曇るというので
途中岐阜付近での撮影を考えた。

午前6時過ぎに家を出る。
東京駅で、6時50分発の小田原行きに乗り、
その後熱海、静岡、浜松、豊橋で乗り換える。
そのうち、小田原、静岡、浜松では始発ではなかった。
浜松付近では空に大きな雲がかかっていたが、
その他の場所では天気はよく、始発で出なくて正解だったと思う。

岐阜に近づいたときにも日は差していたが、
すぐに曇りそうだったので、下車することにした。
自転車を組み立て、午後2時前に岐阜駅の南口を出発。

岐阜市加納
 西方寺

寺の前に『「思い通り」という道は無い』という浄土宗の
ポスターが貼ってあるのを見ながら、
袋から三脚を取り出したところ
何かが地面に落ちて金属音を立てる。
見ると、移動中に衝撃を与えたのが原因か
三脚のうち一本の脚のストッパーが壊れていて
いちばん細いパイプが外れていた。
仕方なく、低い位置のまま本堂と徳本名号塔(文政年間銘)を撮影。

近くのコンビニでガムテープを購入。
パイプに巻いてストッパー代わりにする。

以前、雲端寺で検索があったので見に行ってみると
本堂は再建中であった。

加納宿の本陣、脇本陣跡、問屋場跡などを撮影。
中山道を京都方面に移動する。

加納本町6丁目
 秋葉神社
祠前の燈籠が天保10年銘だったので撮影しようとするが
扉を紐で結わえてあるのをどうしようか迷っていたところ
通りすがりの地元の人にどうしたのか尋ねられたので
事情を説明したところ、紐は解いてかまわないと言われた。

加納本町7丁目
 秋葉神社
隣接する祠をのぞいて見たところ、庚申塔が祀ってあった。
 
後で分間延絵図を確認したところ、
中山道を挟んだ場所に庚申堂が描かれていたので
移転されたものかもしれない。

加納本町9丁目
 秋葉神社 西番所跡
愛宕神社の標柱もあったが撮影せず。

 近くの祠
以前見た資料ではここに馬頭観音が祀られているとのことだったが
十一面観音が祀ってあった。

この頃に日が差し始めたので、撮影を中断して下見に切り替えることを考えるが
すぐに再び曇ってきた。

 阿賀多神社
 西厳寺
 裏手の地蔵堂
 一里塚跡
 清墓地内の地蔵(明和8年銘)
 菊池神社 往来の松跡碑 燈籠(嘉永5年銘)
を撮影。

午後4時過ぎて、少しずつ暗くなり始める。

JR高架をくぐった先、中山道は2車線の道路ではなく、
2車線の道路と高架沿いの道の間の細道になる。
これは、10年以上前に来たときには気付かなかったのだが
本荘まちづくり協議会の道しるべ(看板)が付けられていた。
もっとも、すぐ先で中山道は一旦消滅するのであるが。

妻夫橋があった交差点近くの八幡神社に立ち寄る。
本殿の裏手に祠があって、地蔵が祀られていた。

時間も無くなってきたので、本荘神社に行ってみることにする。
拝殿の裏から本殿を撮影。
反対側に燈籠があるのを見つけ、拝殿の裏を通り抜けようとすると
防犯ベルがけたたましく鳴ってビックリする。
燈籠は数基あり、そのうちの1基は延宝5年銘の古い物であった。
(火袋の部分は新しいもののようだ)
拝殿も撮影するが、正月の飾りがまだ残っていた。

午後5時を回り暗くなったので(雨も降り始めた)、撮影を切り上げる。

本荘神社から北上して中山道に出る。
多羅里の立場跡にあるレストランを横目に移動。
八幡天満宮のある交差点で広い道に出、大垣方面に移動。
西岐阜駅に行くつもりだったが、気が付くと長良川の堤防近くまで来ている。
この辺は名鉄鏡島線の跡と一部重なっていると思いながら橋を渡る。

河渡宿方面に移動。

途中、馬頭観音堂に立ち寄る。
馬頭観音は2mもあろうかという大きなものだった。

穂積駅から乗車。
米原行きに乗って京都駅に向かう。
(2011/1/17)

calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
ブログ内検索
links
categories
sponsored links
selected entries
archives
recommend
profile
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM