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人鈴型庚申塔カタログ

2007年の11月のことになるが、
浦和宿旧本陣の門を探して東浦和を移動中
赤山道の路傍に庚申塔2基が祀られているのを見かけた。


左:寛保3(1743) 右:元文5(1740)

一見して同じ石工が作ったと思われる2基は造立年に3年の開きがある他
右側の口は開いているのに対して、左側の口は閉じられて阿吽になっている
右側の中央手が合掌しているのに、左側は庚申塔が鈴とショケラ(女人)
を持っている等の違いがあった。

左側の庚申塔は、石川博司氏によって「人鈴型」庚申塔と名付けられているが
http://hoko.s101.xrea.com/koshinto/howto06.html
私自身も同様の庚申塔を東浦和近辺でいくつか見ることができた。

その後、2009年に川口市榛松 不動院で人鈴型庚申塔を見つけたのを皮切りに
2010年までに川口市、鳩ヶ谷市内で人鈴型庚申塔を見かけ
人鈴型がこの近辺にも分布していることを知った。

もっとも、石川博司氏著の冊子によれば、川口市新堀でも人鈴型の所在
が報告されているとのことであったが。

今回、人鈴型庚申塔を総ざらいしようと思い立ったのは
上述のこともあるが、直接のきっかけは、庚申塔に関する
川口市・鳩ヶ谷市・さいたま市の資料を見ることができたからであった。

まず、4月にさいたま市南区鹿手袋にある宝泉寺で見せていただいた
石仏スケッチ集(酒井正著 「郷土の石佛」)
がさいたま県立図書館に所蔵されているのを見つけた。

その本には、著者が訪れた石仏の一覧表が付されていて
少なくとも旧浦和、大宮、与野市内の所在がわかっている
庚申塔については網羅されていると思われた。
(2010/12/25修正)
さらにありがたいことには、青面金剛の持ち物についても記されていて
人鈴型の所在について比較的簡単に調べ上げることが出来た。
(とは言え、若干の誤植はあるのですが・・・・)

川口市については
徳光歩著 「川口市の青面金剛と庚申塔」
に庚申塔の写真と持ち物について記されていて
こちらも容易に人鈴型の所在地を調べることができた。

鳩ヶ谷市については、1970年代に
「鳩ヶ谷市の文化財 第2集」
で市内の石仏石塔についての調査報告が行われている。
が、その後の区画整備等で移転した庚申塔も多く、探すのに苦労した。

2011/1/23追記
個人の調査報告書で鳩ヶ谷市内の庚申塔・馬頭観音を調査したもの
(写真・銘文付き)が存在することを確認しました。

-----------------
結局、人鈴型は 川口駅西口からさいたま市見沼区片柳(旧大宮市内)
にかけての広範囲で見つけることができた。
(もしかすると、草加市内にも存在するかもしれない)
2010/12/14追記
草加市内で人鈴型3基の存在を確認した。
(「草加の金石」による)
人鈴型が赤山街道の周辺に存在するとなると
越谷市内にも存在する可能性が強い。

造立年代についても享保5年から寛政7年までの75年間に渡っている。
2011/1/1追記
鳩ヶ谷市内に人鈴型と思しき寛政11年銘の庚申塔があった。

この他に さいたま市桜区内に元禄年間のものがあるが
形態が違うので今回は除外した。

意外なことではあったが、
人鈴型の祖形と思われる庚申塔は
鳩ヶ谷市辻 真福寺(享保5年銘)にあった。

この庚申塔が祖形であると判断される理由として
享保10年代から宝暦にかけてほぼ独占的に表れる特徴

 ・髪が上方に束ねて結わえられていて頂部が平らになっている。
  (青面金剛とはどんな仏さまによると「かつら」というらしい。) 
 ・側方の四臂が真横に突き出された後、鍵型に曲がっている。
 (以下、頭と腕の形から簡単に「TH型」と記すことにする)

が見られないということが挙げられる。

逆に鳩ヶ谷の近くで、人鈴を持たないTH・合掌型六臂が
人鈴型六臂に先んじて見られるので
おそらく、石工が真福寺で人鈴型を見て
自作に取り入れたのではないかと考えられる。

明和に入るとTH型に変化が見られる。
頭頂が平らなのは、ほぼ変わりがないが、
下手が斜め下に突き出される様になる。

さらに邪鬼が前向きになったり、様々な変化があるが、
最終的には、他の庚申塔とあまり変わりのない形態になる。


(2010/10/28,11/21)

 (参考) さいたま市桜区宿 観音寺 元禄12 (1699)
 

●越谷市大袋 釈迦堂 宝永3 (1706)

●東京都北区赤羽台 享保5 (1706) 
(2012/5/28追加) 

●鳩ヶ谷市辻 真福寺 享保5 (1720)


今回調査した中で最古の人鈴型庚申塔であり、
この近辺の人鈴型庚申塔の祖形になったと考えられる。

●鳩ヶ谷市辻 常住寺 享保13 (1728)

※鳩ヶ谷市本町の個人宅の敷地から移転したものか


●川口市前川4 観福寺墓地 享保15(1730)



●川口市神根神戸 宝泉寺墓地 享保15(1730)



●川口市安行領原 蛇の木下 享保16(1731)



●川口市新堀 元文5(1740)
 


●川口市中青木4 良光院 元文5(1740)



●さいたま市緑区大間 寛保3(1743) 元文5(1740)



●川口市榛松 不動院 寛保3(1743)



●川口市西新井宿 笹根稲荷 延享元(1744)



●さいたま市緑区 間宮 氷川神社 延享元(1744)


●さいたま市緑区 中尾 延享元(1744)


● 草加市柿木町東漸院 延享1(1744)


●川口市 東貝塚 延享2(1745)



●さいたま市緑区 東浦和7 延享3(1746)



●鳩ヶ谷市八幡木2 上新田地蔵堂 寛延元(1748)



●川口市西新井宿 川口JCT近く 寛延2(1749)
 


●さいたま市緑区 東浦和7 墓地 寛延2(1749)

※ 赤山道沿いにあったものが幹線道路建設により移転

●さいたま市緑区 中尾 墓地 宝暦2(1752)



●草加市清門町 稲荷神社 宝暦2(1752)


●鳩ヶ谷市 三ツ和3 念三寺跡 宝暦3(1753)



●川口市安行領家 興禅院 宝暦8(1758)



●川口市戸塚 東福寺 宝暦11(1761)
 


●川口市東川口1丁目 身代り不動 宝暦12(1762)
 


●さいたま市緑区東浦和 墓地 明和元(1764)



●さいたま市見沼区片柳 西山通り沿い 明和2(1765)
 


●川口市石神 妙延寺(女郎佛) 明和7(1770)
 


●川口市安行領根岸 妙蔵寺 明和8(1771)



●さいたま市緑区 大間木 明和9(1772)



●川口市安行領家 安行領原バス停近く交差点 安永3(1774)
 


●川口市川口4 錦町広場 安永3(1774)



●川口市西新井宿 安永3(1774)



●草加市清門町 稲荷神社 安永5(1776)
 


●さいたま市緑区 松木(三室) 安永5(1776)



●さいたま市緑区 大間木 八丁稲荷 安永6(1777)
 

●草加市谷塚 新福寺跡(下兎会館) 安永8(1779)
 (2011/12/17追加)


●鳩ヶ谷市 里 法福寺 安永10(1781)
 


●草加市新善町 西光院 天明2(1782)



●川口市 青木 龍泉寺 天明2(1782)



●さいたま市緑区 東浦和 清泰寺 天明3(1783)
 

●宮城県気仙沼市東中才 八幡神社 天明6年(1786)

●横浜市緑区池辺 八所坂 [天明8年](1788)
(2012/5/28追加)

●川口市 赤井1 神明社 寛政3(1791)
 

●さいたま市岩槻区高曽根 高曽根公民館 寛政5(1793)  

●川口市 神根神戸 宝泉寺 寛政7(1795)
 

●さいたま市緑区 大門 椚谷墓地南 寛政7(1795)
 


●鳩ヶ谷市八幡木 円明庵 寛政11(1799)
磨耗が激しいが、法福寺(安永10年銘)の庚申塔等との類似から人鈴型と推定する。

(参考) さいたま市南区 太田窪 安永3(1774)剣鈴型

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