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  • 2014.08.13 Wednesday
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2005年6月-

さて、中山道の写真を撮るのを3年ほど中断していたのですが
その間、ずっと中山道界隈の大縮尺の地図
(都市計画図や森林基本図)をトレースしていました。
詳しい経緯は、おいおい日記に書くつもりですが、
旅先で中山道のガイドブックを出版しようとしている人と知り合って
本に載せる地図の校正をしたのがきっかけでした。

その当時、中山道分間延絵図という江戸時代の絵図の写しを持っていたのですが
絵図に描かれているのが現在のどの場所に相当するかということに
あまり関心を払わずにいたことに気づいたのと、
数値地図を始めとして、1/25000の地形図よりも詳細な地図の存在を知り
江戸時代の絵図と現在の地図の比較を行うことを始めたからでした。

絵図と現代の地図を比較する段階で色々なことが分かってきたのですが
それは別の機会に紹介することになると思います。

ここでは、どうして写真の撮影を再開したかについて書くことにします。

その当時、部屋の中に未整理のネガが大量にあり
何とかしなければと考えていました。
中山道のネガについてはある程度、時系列でまとめてあったのですが
他のものを写したネガについては、いつ撮影したのか不明なものがかなりあって
しかも、中山道の写真とそれ以外の写真を同じフィルムに撮っていたので
ネガの整理の方法に頭を悩ませていました。
結局、全てのネガを時系列でまとめることにして
2005年4月頃からネガの整理を始めました。

最初、撮影した時期を憶えている最近のネガから始め
段々時間をさかのぼっていき、一旦整理していたネガにも手をつけ始めました。
そうなると、かつて撮ったものをもう一度見直すということになる訳ですが、
全てのネガの整理が終わった時点で
中途半端で放置してあった中山道のアルバムを
完成させなければと思うようになったのでした。

まず、比較的進んでいる熊谷以北の関東について、
2005年中に終わらせる予定を立て撮影を開始しました。

が、地図をトレースしていた段階で、それまで見逃していた物の所在に気づいたり、
一旦撮影したものでも色々気に入らなくて再撮影したり、
さらには、別の予定と重なったりして、予定は大幅に遅れていくことになりました。
(2007/7/24)

2005年6月14日

安中〜高崎〜深谷
安中市内で数年前に撮影しなかったものを撮ることにする。

安中で下車
曇りだが時々日が差す。

安中市安中
 伝新橋(安中宿の南)の袂にある稲荷神社
 近くの石仏群
 天満宮跡碑

天満宮(天神)は分間延絵図にも描かれている。
 長徳寺墓地入口の躍念仏供養塔
 矢頭池南の道祖神

安中市原市に向かう。
 大日塚
 碓氷社(紡績工場)
 原市の中心部
 秋葉神社

日が差してきたので撮影を止め東京方面に戻る。

高崎市豊岡地内
 藤川沿いの道陸神文字塔
高崎市赤坂
 常仙寺
 神明神社

高崎市の中心部で時間をつぶす。

曇ってきたので安中方面に戻ろうとする。
高崎市藤塚
 藤塚一里塚

板鼻につく前にまた晴れてしまう。
安中市板鼻
 R18旧バイパス陸橋下の石仏群

東京方面に引き返す。
時々曇りそうになった時に写真を撮る。

高崎市上佐野
 粕沢橋近くの笠森稲荷
新町
 氏神社


深谷から東京に戻るつもりで
深谷田所町の諏訪神社に寄ると入口にある古いアパートが
取り壊し寸前だったので撮影した。


(2007/7/14)

2005年6月28日

新町・藤岡

今回は移動する範囲がそれほど広くなかったので徒歩。
新町で下車。国道を高崎方面に歩く。
立石寺
カメラを三脚にくくりつけたまま移動中に
カメラが外れ落下、アスファルト上を転がる。
ピントリングが損傷。
レンズもそれなりの衝撃を受けたはずだが
とりあえず問題なく動いたので撮影を続行。
崇近寺
政所稲荷
国道を挟んだ所にある石仏群
道祖神
中島神社
薬師堂
宝昌寺
伊勢の森
念仏堂
伊勢嶋神社裏の石仏
新町観音堂
閻魔堂
午後3時頃に
新町から戻る。

(2007/7/16)

2005年7月1日

深谷

始発で深谷へ
深谷の街並みを撮る。


前回気になった取り壊し寸前のアパートを撮影。


深谷市宿根地内
地図に祠の記号が描かれていた場所(高崎線のすぐ脇)に行くと庚申塔があった。

もう一箇所、祠の記号がある場所に行ってみるが、区画整理のため発見できず。

岡部町(現深谷市)に入る。
国道からみえる小さな神社を撮影。
これは民家の敷地の中とも路地とも分らない場所にあったが、
隣の家の人に軽く挨拶して撮影していると、
家の主人と思しき老人が出てきて色々な話を聞かされる。

神社はこの家の氏神であること。
国道沿いにある鳥居は交通事故で壊され、新しく造りなおしたものであること。
家の裏手に神田があって、毎年取れた米を奉納していること。
老人は五十年前に宮司の資格をとって以来、毎日祈祷を欠かさないこと。
氏子(長野県内にもいるらしい)が奉納したものを、
無病息災を願って毎年始めに焚き上げてしまうこと。

老人は八十歳とはとても見えないほど足腰がしっかりしている。
そのうち、話は迷信じみて来て、この町が発展しないのは
岡部神社に祭られている本来の神様がおざなりにされているからだとか
こちらとしては適当に相槌を打つしかなかったが
最後に老人は次のような話を始めた。

二百年前(この老人の話だとつい昨日の様に思える)
この家は茶屋であったが、東の方から修行にやってきた男がここで休憩した。
男が厠に行っている間に、近くに住む村人が男の金品を奪って山に逃げ込んだ。
男は途方に暮れ、しばらく茶屋で待っていたが、
あきらめて夕方に茶屋を引き払った後、
近くの蛇食(じゃばみ)という場所で首をくくってしまった。
男の身元が分らないので、そのまま無縁仏として埋葬してしまったが、
もし身元を割り出して供養すれば、祟りが無くなってこの町のためになるはずだ。
身元を調べるいい手立てはないか・・・・・・。

老人と別れて東京方面に引き返す。
 正覚寺門前の石祠
 木ノ本の地蔵堂
 熊野神社
撮影していると、小柄な丸刈りの男が声をかけて来た。
最初、神社の関係者かと思ったが、どうも違うようだ。
上の歯が何本か抜けているためか妙に舌足らずで、
何を話しているか、はっきりと聞こえない。
抜けた前歯からのぞく舌が性器を連想させる。

どうして、こんな神社の写真を撮っているんだ、
こんな写真でなく女は撮らないのか。女遊びはしないのか。
自分が東京に出ていたときは練馬に住んでいたが・・・・・・

等と話し掛けて来るのを、最初は真っ当に相手をしていたが、
段々、何を話しているか理解するのをあきらめ、適当に相槌を打つ。

ふと、男が神社に何か隠していて見付られないように
監視しているのではないかという気がし始め、薄気味悪くなる。

雨も降り始めたので、適当に撮影を中断して立ち去ることにする。
 弥勒院
籠原駅まで移動、電車で帰る。

(2007/7/18)

2005年7月3日

軽井沢〜横川

曇天を期待して軽井沢に行く。
新幹線で輪行して軽井沢に着くと霧がかかっていた。
 室生犀星記念碑
旧軽井沢を抜けて見晴台の方まで上がっていく。
途中、わずかに日が差したものの、
頂上の熊野神社に着くころには、かなり濃い霧になっていた。
自転車を頂上に置いて旧道を軽井沢方面に下ってみる。
去年の冬に行ったときには日が直接当たっていた道が、
鬱蒼とした林の中の道に変わっており、前回GPSを使ったのが正解だったことを知る。
別荘地まで降りていくと日が差しているが、
遊覧歩道を引き返すと頂上は相変わらずの濃霧。

昼食をとり、今度は群馬県側に下っていく。
林の中の道であまりよくわからないが、霧雨が雨になったらしい。
碓氷川水源池など幻想的といえば幻想的だが、撮影は困難になっていく。
カメラも調子が悪く、シャッターが開いてないと思われる異音が頻発する。

撮影をあきらめて、旧道を下り始める。
対人事故を懸念してハイカーに注意しながら下るが、
この天候だから誰もいないだろうと思っていたら、
人影がみえたので、あわてて下車して声をかける。

彼らは焚き火で暖をとっていた。
一人がデニスというオーストラリア人で、もう一人(日本人)が彼を案内していた。
デニスは古い鉄道に興味があり、
横川〜軽井沢間の廃線を見に3回も通ったそうだが、
今回は遊歩道から橋が眺められるというのと、
歴史的な遺物が旧道沿いに多いのでここまで上ってきたらしい。
連れが彼を "natural born (野生児)" と称していて、
実際、焚き火をするのに生木をうまく燃やしたり、
火の両脇に石を積んで火の上に生木をかぶせて火の始末をしたり、


その後一緒に下山したのだが、
道が平坦になった所で「自転車に乗らないのか?」と聞いてくるので
乗車すると後ろから走って追いかけてきたり、
(彼曰く自転車をペースメーカーにして走るのが好きだそうだ)、
ガレ場の急斜面では自転車を担いでもらったりした。

遊歩道から舗装路に出たところで彼らと別れ、横川駅から戻る。
東京も雨が降っていた。
(2007/7/17)

(2007/10/15追記)
そういえば、坂を下っている途中、デニスを案内していた人と
「ほうとう(おっきりこみ)」は武田信玄が上州に持ち込んだのか
上州の料理を甲州に持ち帰ったのかということについて言い争いになった。
調べてみると、「ほうとう」自体は秩父にもあるようで、
信玄の陣中食という説自体にもともと無理があるのだと思う。

2005年7月9日

新町・岩鼻・深谷

始発で新町へ
まず、胴塚八幡・首塚稲荷に行く。
胴塚八幡

首塚稲荷

ついで、駅の南にある諏訪神社旧地に寄る。
国道を移動、烏川を渡り岩鼻へ
 観音寺・天満宮(陣屋跡)・北向子育観音・赤城神社
中山道を戻る形で、
立石
 信迎庵・伊勢嶋神社
新町
 宝勝寺の山門・八幡宮の鳥居
 浄泉寺・専福寺・諏訪神社
 竹本百合大夫辞世の碑(これは、民家の敷地の中にあった)
 山ノ神 繋杭(説明板が設置されていた)
 諏訪神社の参道にある石祠
(車が停まっていたが動かしてもらった)
 八坂神社
 神流川古戦場の馬頭観音
とこの辺の撮影はひとまず完了。
熊谷方面に戻る。
 深谷宿根地蔵堂
籠原か熊谷より戻る。
(2007/7/21)

2005年7月16日

籠原周辺

籠原駅で下車。
住宅地図に祠の記号が何箇所か描かれていたので行ってみる。
最初に訪れた場所には祠があったが、
区画整理が進んでいていくつかの祠は見つけることが出来なかった。

中山道に出て道沿いの馬頭観音を撮る。
道の際にあるため車道上にカメラをセットして
次の車が来る前に撮影しなければならなかった。

深谷方面に移動。
 光福寺
移動中、祠を探していて地図にない場所に地蔵祠を見つける。

 中山道を渡り北側にある薬師如来
 諏訪神社旧蹟の石碑
 儀安寺
 北に向い薬師堂(来迎寺)
中山道の北側の道を適当に戻り中山道に合流
 西ノ稲荷
籠原駅から帰る。

(2007/7/20)

2005年7月17日

籠原周辺

今回は中山道分間延絵図に堂や祠が描かれている場所を訪れた。

籠原駅で下車。
宝性寺の近くにある石仏群・祠を撮影。
国道を渡り奈良堰用水の脇にある墓地に寄る。
ここは延絵図に薬師堂が描かれている場所であったが
薬師と思われる石仏があった。

次に稲荷が描かれている場所に行こうとする。
移動中に近くに住んでいる人と話しをする。
近くに馬頭観音の碑があると教えられる。

稲荷には以前立寄ったことがあった。
前は畑の中にあったはずだが、
鳥居の前面をふさぐ形で住宅が出来ていたため
引きが取れず撮影に苦労する。
 稲荷脇の石祠


通ってきた道をさらに移動。
中山道を渡り一ツ眼稲荷が描かれていた場所に
庚申塔がある様なので行ってみる。石仏群があったので撮影。

次に延絵図には載っていないが国道脇にある地蔵堂に行く。
撮影中に晴れてしまったので切り上げて熊谷から戻る。

(2007/7/20)

2005年7月23日

横川駅で下車。
今回は徒歩で移動。
坂本宿周辺で前回の撮り直しと
都市計画図に石造物が描かれている場所を訪れる。
 横川 諏訪神社
 川久保 薬師坂の水神祠
 原 白髭神社
 水神社
 坂本 白山寺と近くの石祠
 坂本南側にある祠
 洞松寺
 橋供養塔
 阿弥陀堂
 八幡神社
碓氷峠遊歩道に入る。 少し霧がかかっている。
 堂峰番所跡
右手に念仏百万遍碑を発見する。

 刎石坂石仏群
霧が濃くなったので撮影を止めることにする。
峠の湯に入る。
トロッコ電車の脇の道を下り
丸山変電所に寄る。
横川に戻る。

実はこの日、東京で震度5の地震が起こったのだった。
地震が起こった時間には丸山変電所から横川駅に向かっている途中だったが
全く揺れを感じなかったので、気づかず。
高崎線に大きな遅れが出ていたことで地震があったことを知る。
(2007/7/20)

2005年7月24日

安中

午後から曇るというので2時頃安中に着く。
板鼻に行く。
 実相寺
(寺の前の道がかつて信濃に通じる道で義経も通行したという話を聞く)
 聞名寺・梅昌寺(無住の寺)
庚申塔

 双体道祖神・諏訪神社・鏡ヶ池・伊勢殿
板鼻宿の街並を撮影しようと三脚を立てていると、
警官に何を撮っているのかと質問される。
 山崎稲荷・称名寺
 長徳寺
 道標・道祖神
高崎方面に戻り
 八幡宮入口の馬頭観音
 豊岡 東京講社

高崎から実家に帰る。
(2007/7/21)

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