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2008年12月2日

浦和

昨夜の雨も止み、朝から曇りだったが、昼から晴れると言う天気予報だったので、
田端から浦和まで輪行する。

浦和駅西口に出ると、駅前の案内板でうらわ美術館で
1960〜70年代の展示をやっているのを知り、後で見に行くことにする。

浦和で下車したのは、JRの線路脇にある仲宿弁財天を撮影するためだった。
古くから個人宅内にあった祠を昭和28年に現在地に移転したとのこと。

次いで、常磐町にある成就院にある六地蔵石幢が庚申塔を兼ねているので撮影。

うらわ美術館の展示を見た後、県立図書館に寄る。
「石の文化財 浦和の石造物」という本に
玉蔵院境内に「守護侍不入石杭」という石造物があると書いてあるのを知り撮影に行く。
石杭は寺務所の前にあった。


その後、知人の展示を見に西川口に移動。

途中、根岸地内に祠があるのを発見。
分間延絵図にある諏訪明神に一致していれば面白いのだが。

そのまま東京に戻る。
結局、その日は一日中曇りであった。

2008年12月5日

日本橋

今日は午前中は曇りで、午後から雨になるとのことで
日本橋付近に撮影に行く。

家内喜稲荷
白旗稲荷
一石橋迷子知ルヘ石 (几号水準点)

三浦按針屋敷跡
お竹大日井戸跡
十思公園 時の鐘
小伝馬町 大安楽寺
将門塚

2008年12月17日

板橋区内

早朝の天気予報では昼から雨になるとのことだったが
8時半に家を出た時点で小雨がぱらついている。
曇りなら、前野にある常楽寺に行ってみようかと思っていたが。

とりあえず、板橋方面に向かう。
中山道ではなく、駒込駅を通り抜けて霜降橋交差点を渡る。
石神井川に出た後、川沿いの遊歩道を板橋方面に移動。

 板橋
現在の石神井川は河川改修で水路が付替えられているので
現在の南側に江戸時代の板橋があった。
ふと、旧河川道から旧板橋を撮る事を思いついたので実行に移す。
カメラをセットしていると橋の上にトラックが止まってしまうが
しばらく動かないようだったので、とりあえず撮影。

 常楽寺
行ってみると、境内の木々はほぼ落葉していた。
宝筺印塔と三界萬霊搭を撮影。
そのまま仕事に向う。
(2008/12/19)

2009年1月12日

 藤岡・玉村・伊勢崎・本庄

この冬、18きっぷを使う機会を逃していた。
12月は予定が入っている日に限って現地の天気が曇りになったし
1月は正月休みが明けた頃に西の方は雪が積もった様だった。
1/10は新年会で泊り、翌日1/11に川口、さいたま、戸田市内の庚申塔を回る。
1/12は岐阜方面に行こうかと思ったが、雪との予報で結局止めにした。
群馬県は昼過ぎに曇るというので、日暮里駅から輪行、新町で下車。

東京を出るときは晴れだったが、
深谷を過ぎたあたりから少しずつ雲が多くなってきて
新町に着いた時には、上空に大きな雲がかかっていた。

藤岡市立石
 立石寺
境内の庚申塔(三尸絶彭処)と宝筺印塔を撮影。

前回(2005/6/28)境内を撮った写真を見たが
梅雨時だったため境内に雑草が多く、他の石造物も撮り直すべきだった。

 立石神社
本殿と隣の末社(天神社・八幡社)を撮影するが、この直後に雲が移動してしまう。

撮影を止めてツーリングに切り替えるが、
前回(2008/10/14)例幣使街道を走った後に
「伊勢崎の近世石造物」という本を見て気になっていた
伊勢崎市西上之宮の慈眼寺にある五佛を見に行くことにした。

烏川の堤防に出てサイクリングロードを走る。
岩倉橋の袂まで移動。途中、河川敷に水神祠(明治茉)を発見。
旧毘沙土村の諏訪神社本殿背後にある石祠・道標(庚申塔)を確認。
岩倉橋を渡り、玉村町に入る。

橋を渡ってすぐ、角淵八幡宮入口の案内板を見て脇道に入るが
八幡宮を発見できず。諦めて、田園の中の道を北に走る。
東の方遠くに古墳が見えるが、軍配山古墳なのだろう。
例幣使街道に出て少し西に移動、脇道をまた北上する。

玉村町福島
 天満宮境内 庚申塔
道が県道34号線と合流する手前の神社の境内に赤い石仏があるのに気付き、
行ってみると庚申塔だった。

利根川を渡り、県道24号線を東に移動。韮川放水路の手前の道を南に入る。
この頃上空に寒気が入ったのか再び雲がかかり北風が吹き荒ぶ。雨がぱらついていた。

伊勢崎市西上之宮
 倭文神社境内 双体道祖神

 慈眼寺境内 石仏群
 五佛

 庚申塔
  
ここよりさらに南下。例幣使街道の柴宿に出て東に移動する。

伊勢崎市堀口
 昌雲寺 境内庚申塔

前回来た時に見つけた庚申塔以外にもう一基庚申塔があるというので
墓地内を探し発見する。

雲は移動し再び晴れてきた。国道を本庄方面に移動。

 本庄市若泉の石仏群(庚申塔)
水辺の神様というサイトで見かけたもの。
阿夫利天神参道入口からあまり離れていないのに今まで存在に気づかなかった。
正月の為か注連縄が巻かれていた。出直すことにする。
本庄駅から輪行、川越線笠幡駅で下車。実家に戻る。

2009年1月18日

岐阜市内

今回は徒歩。
東京駅5時20分発の東海道線の電車に乗り、3度乗り継いで12時過ぎに岐阜駅に到着。
去年は穂積駅にもう少し早く着いた記憶があるが
その時は1便速い品川駅始発の電車を使ったのだと思う。

岐阜駅に着いた時、空に雲はかかっていたが薄日が差している状態で
撮影を始めるかどうか迷ったが、そのうち曇り始める。

 妙泉寺 題目塔 鬼子母神堂
境内に「まちナビ」という標柱があるのを見つける。
安国寺の近くでも見かけたが、標柱に番号が書いてあって
携帯型音声ガイド機で観光情報案内が聞けるようである。
 
 欣浄寺

 高家寺跡
昭和38年の国土基本図では存在が確認できたが、現在は駐車場になっている。
 宝樹寺
 信浄寺
 秋葉神社
 久運寺

 加納天満宮
境内に入ったときは参拝客は誰もいなかったが、
受験シーズンということもあり、その後参拝客がひっきりなしに訪れる。
奉納された牛、拝殿下の燈篭(慶長年間の銘あり)、
裏手の稲荷神社、津島神社、末社、
燈篭群(かつて奉納されたものをまとめてあった)を撮る。
 雲端寺

 玉性院
江戸時代には妙泉寺の南西にあったと思われる。
「節分つり込み祭り」というのがあるらしく、その準備中だった。
巨大な鬼の張りぼてを撮影。

 愛宕神社
 円明院

 安国寺
以前来た時に山門が閉まっていて、
境内にある亀姫の墓を鉄門の上から撮影したことがあるのだが
今回は鉄門の隙間から写真を撮ろうと四苦八苦していると
向いの家に住んでいる婦人が出てきて
「脇の木戸から境内に入って、お庫裏さんで断れば中で撮らせてもらえる」
と教えてもらう。

この時点で雨が降り始める。

中広江町 庚申堂
南広江町
 街並
 秋葉神社
 道標
道標の近くの中山道で道路工事をしていた。
若い作業員に「中山道ってそんなに有名なんですか?」と訊かれる。

 水薬師寺
雨は止みそうに無いので加納本町を歩いて岐阜駅に戻ることにする。
気付いたこと。

・当分本陣は分間延絵図に無い。
・加納桜通りの位置に問屋場があった。
・三丁目の本陣、(西)問屋場、脇本陣は標柱の位置と分間延絵図から比定される
 位置が一致している。
・四丁目の脇本陣は分間延絵図に無い。
 この場所に現在マンションが建てられようとしている。

午後3時過ぎに岐阜駅に戻る。
電車に乗り、10時過ぎに渋谷駅に着く。

2009年1月20日

松井田

18きっぷを消化するため高崎線に乗る。
本当は1/18の続きで岐阜に行きたかったのだが。

東京はどんよりとした曇りだったが、高崎に近づくにつれ段々薄曇りになる。
高崎から信越線に乗り換えて横川まで行く。
薄日は差しているが、今回は石造物のみを撮ることにして下車。
ほとんどが、以前の撮り直し。

安中市横川
 井戸沢の石仏群 庚申塔・石祠
 滝不動西の石仏群 
撮影の間、犬がひっきりなしにほえていた。
五料 御所平
 石仏(阿弥陀?・薬師)

碓氷神社西にある墓地に行ってみたところ青面金剛を発見する。
今まで何度も近くを通っていたのに気づかなかった。
 榎踏切(この手前の街渠の蓋にアプト式が使われている) 
新堀
 諏訪神社西 石仏群
松井田
 本陣跡
 不動寺
郷原
 琵琶久保付近道跡
近くで工事をしていて作業員に何を撮っているのか訊かれる。
 常夜燈・道祖神
ここから下った先に墓地があり、石仏群があるのに気付くが
逆光だったため、出直すことにする。

高崎方面に向かってゆるゆる移動。
 高崎市藤塚 浅間神社境内 庚申塔
 高崎市豊岡 石仏群
を撮影するが、日差しの関係で撮影し直すかもしれない。

高崎駅から新宿に出る。

2009年1月21日

朝から曇り。

2001年頃に上野公園内に残された寛永寺の跡を巡ったことを思い出し、
上野公園に行く。

東照宮参堂からの五重塔、鐘楼、清水観音堂を撮影。
寛永寺に行き、本堂と虫塚
東京芸大敷地内にある宝筺印塔を外から撮影。

その後、板橋方面に移動。
板橋区前野 常楽寺の境内の宝筺印塔と馬頭観音を撮影。

そのまま仕事先に行く。

2009年1月24日

大宮

東京・埼玉県内は曇り。
思い立って、さいたま市北区奈良町・別所町を巡ることにする。
田端駅から輪行、京浜東北線に乗る。
ホームに止まっている電車に間に合ったと思ったら、
人身事故の復旧待ちをしていたのだった。
乗車してすぐに動き出したが、途中何箇所かで信号待ち。
大宮で高崎線に乗り換えて、宮原駅で下車。
西口に出る。

国道16号のバイパス沿いにあった稲荷?神社を探す。
これまで何度か付近を探したことがあるが、見つけることができなかった。
どうやら、無くなってしまったらしい。
(後で住宅地図を見たところ、祠は解体されて住宅が建てられていた。)

---------
道を北上、別所小学校脇を通る。
ここは、宇宙飛行士の若田光一さんの出身校であるらしく
学校の塀にスペースシャトルの絵などが書かれている。

さいたま市北区別所
 長福寺
ここに板碑群があるとのことで何度か訪れているが、
境内は幼稚園になっていて立ち入りが出来ない様だ。
休日で幼稚園は休みだったが、境内に入るのをあきらめ
寺の向かいの駐車場の片隅にある弁才天碑と文化財の標柱のみ撮る。

 三貫清水
昨年ここに立ち寄ったが、写真を撮り直す。
子供たちが林の中を遊び回っている中撮影。

再び、奈良町の稲荷神社を探し、その後南下。
日進町と沼影自治会館前の庚申塔を撮影
新年会に誘われた家まで移動する。
-------
2009/2/3追記
さいたま市北区内の道祖神について検索が多いようなので、
国会図書館で「大宮市の石造物」という本を調べたところ
北区土呂町に道祖神があるという情報を得ました。
土呂の史跡と文化財(3)によると土呂町2-33-11に存在するようです。
2009/3/2追記
現地に行ってみましたが、「道祖神」と彫られた新しい石杭があるだけでした。

2009年1月25日

浦和・深谷

この日は、新年会の後泊まり。
朝になって、新聞で深谷市上敷免にある煉瓦工場跡でホフマン輪窯が臨時公開される
という記事を読み、見に行くことにする。
昨夜来た道を引き返し浦和駅を目指す。

浦和駅の近くまで来て脇道に入ったところ、祠(笠森稲荷)を発見。
脇の電柱に 「うらわ宿寺・神社散歩遍路」 というマップが貼ってあるのを見つけ
今まで訪れた寺社以外に、三峰秋葉神社という祠が駅の近くにあるのを知る。

浦和駅から輪行。深谷駅で下車。
貨物線跡の遊歩道を走る。
中山道を深谷宿東入口の燈篭付近で横断して北上、
途中、貨物線の橋跡が残されているのを見学する。

上敷免には1時半頃到着。
予想していたが、ホフマン輪窯に向かって長蛇の列が出来ている。
とりあえず、隣接する資料館と変電所跡を見て帰るつもりだったが、
1回90名づつ窯の中に入ることができると聞き、列に並ぶことにする。
列の少し前に並んでいる人は以前煉瓦工場で働いていた人らしく
昔はこの辺に「街」があったと話しているのが聞こえる。

1時間近く並んで窯の中に入る。

帰り際にもう一度資料館を見学。
小山川河川敷を走る。
妻沼を通過し、熊谷市上中条の閻魔堂に向かう。
ここは、去年の10月末に訪れて五輪塔が彫ってある板碑を撮影したが、
その隣にある板碑が(庚)申待供養塔だということを
「板碑」という調査報告書で知ったので撮影に行く。
板碑は磨耗が激しく申待供養の文字は見つけられなかった。

とりあえず、写真だけでも撮影しようかと思ったが、
近くに住む婦人に板碑について質問され、
説明しているうちに日がどんどん暮れていった。
完全に暗くなる前には撮影することが出来たが。


熊谷駅まで戻り、日暮里駅まで輪行。

この日、レンズを1本紛失したようだ。

2009年1月29日

鴻巣・箕田

この日は曇り。
仕事が昼までだったので、新宿まで移動、フィルムを購入して電車に乗る。

浦和の埼玉県立図書館で読んだ「鴻巣の石造物」という調査報告書に
いままで撮影したことのない石造物が多数載っているのを知り、
もう一度、鴻巣に行ってみるつもりだったのだ。

鴻巣駅で下車。
地図に付けた印を頼りに徒歩で熊谷方面に向う。
暗くなるまで、あちこち回って撮影。
北鴻巣駅から新宿に戻る。

 鴻神社 
本殿向かって右側、社務所の前の庚申塔を撮影。
この神社には何度と無く来ているが、いつも本殿左側に抜けてしまうため
ここに、石仏があるのに気づかなかった。
この隣にある弁財天碑は以前駐車場の片隅にあって
行方不明になっていたと思っていたものの様だ。

鴻神社から中山道の一本裏手の道を歩く。
小さな石造物がいくつかまとめてある場所を見つけるが、撮影しなかった。

 猿田彦
池本院から1ブロック東京寄りの駐車場の片隅にあった。
中山道からは死角になっていて、よほど気を付けないと見逃すと思う。
2体の石造物があって、造立年が彫られている方は庚神様と呼ばれている様だが、
そちらは明らかに馬頭観音であった。(もう一体は庚申塔)

中山道を移動。加美交差点からバイパス方面にしばらく進み右折、 
スーパーの近くにある馬頭観音文字塔を撮影。

高崎線の踏切を渡り、中山道と高崎線の間の道に入る。
地図に印を付けた場所に向かうと、そこは墓地で、
入り口付近に初老の男性がたたずんでいた。
男性はもともと、ここの近くの出身だったが、別の場所に移住、
久しぶりに(10年ぶりと言っていたが、もっと間が空いていると思う)戻ってみると、
付近の様子がまったく変わっていたらしい。
「この墓地は昔はおっかない所で、夜、肝試しに使っていたが
こんなになってしまうと、昼でも夜でも来れてしまう」
という様なことを話していた。

この近く、鴻巣集会所の近くに印を付けていたので行ってみるが、何も見つけられず。
もっとも最近になって白山神社の境内に石造物が増えていたので、
この場所から移転したのかも知れない。

中山道を横断、糠田方面への道を歩く。
この道は分間延絵図には(中山道の?)古往還として描かれているが、
この先どこを通過していたか判らない。
理研コランダムの先の馬頭観音文字塔を撮影。

住宅地が途切れて、何本かの道が合流する地点から、
逆に戻った先にある石仏群(青面金剛塔2基、馬頭観音2基)を撮影。

登戸勝願寺を遠くに見ながら歩き
途中、池があったと思われる場所の辺にある祠を撮影。
もしかすると、以前撮影した祠かも知れない。


宮前 永林寺の裏を回って中山道に出、しばらく歩く。
観音堂の入口手前から、一本裏手に入り、秋笹家墓地を目指す
(墓地内に庚申塔があった様だ)
が、途中で秋笹酒造(醸造)があった場所に
スーパーマーケットが出来ているのに気づく。
墓地も、酒造と一緒にどこかに行ってしまったのか見つけることが出来ず。
後日住宅地図を調べたところ、薬師堂の裏手に墓地があるのを見つける。
(昭和42年の国土基本図にも同じ場所に墓地が記載されていた)
ここに庚申塔があるのかも知れない。(庚申塔は2009/2/11確認)

県道を渡り、箕田小学校前を左折、幼稚園前にある馬頭観音文字塔を撮影。
中山道に戻り、箕田郵便局前の板碑を撮影。
この頃には4時半を回り段々暗くなって来た。

満願寺入口のバス停付近から脇道に入り、文字塔を撮影。
この近くにもう数基ある様だが、時間が無かった。

すっかり暗くなったので北鴻巣駅を目指すが、
西口の住宅地の整備工事がまだ終わっておらず、遠回りを強いられる。

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